そばのお花見を楽しもう その1 [とろろそばが出来るまで]
生まれてから27年間、ずーっと東京で暮らしている。特に不便を感じたことはないが、たまに自然にどっぷり浸かりたくなる。そういえば、自然を見ることはあっても自然にダイレクトに触ることってないんじゃないか?土に触れたり、生きものに触れたり。そうだ、あわよくば収穫の喜びなんて味わってみたいな。そんな願いを叶えてくれる、うってつけのシステムがあるというのでやってみました。 |
text by 小川 恭
そばのお花見を楽しもう
いよいよ楽しみにしていたお花見イベント、花祭りの日がやってきた。
なにせこの日が楽しみで、参加できることが決まったとたん、気が急きすぎて現地に行ってしまった人間(私)だ。
2週続けて群馬の同じ場所に向かうため片道120キロの運転をしていることになるが、そんなの気にしない。若干の腰の痛みなどは全く無視して現地に向かう。
花祭りは朝10時から開会式が行なわれるという。
朝10時…。
片道120キロのハンデを負う人間にとってはなかなか手強い時間設定である。
しかし、この朝早くに出発、というのも遠足気分を駆り立てられて楽しい。いやがおうにもテンションが上がる。
途中同行者をピックアップして8時前には高速に乗った。
今回は当初、私を含め3名の予定であったが、「群馬の蕎麦畑まで蕎麦の花を見に行く」というフレーズがずいぶん目新しかったらしく希望者が増え、結局もう1名追加の4名で参加することに。
同行者のうち一人は「蕎麦の花を見に行く」ことよりも「群馬の蕎麦畑」の方が強く頭にインプットされてしまったようで、
「収穫もするんだと思ってジャージ持ってきた」
と言っていた。
花だ、って言ってるのにどうして同時に実がなるか。
しかもその子の足もとを見ると、畑だと言っているのにパンプスを履いている。
ほんとに畑仕事するんだったらどうするつもりだったんだろう。
…いかに我々が畑というものに馴染みがないか分かっていただけるであろうか。
こんなことを言っている私だって、誘われる側だったら同じようなことをしていた気がする。
「蕎麦畑」という非日常な単語だけでなんだかもうよくわからないわくわくした気持ちになってしまうのだ。
私たちを魅了する罪なやつ・蕎麦畑(イメージ図)
車を飛ばして蕎麦の里を目指す。
東京はぐんぐんと遠ざかり、はるかに霞んでいた山並みが間近に迫ってくる。
富岡甘楽ICを降り、前回同様、案内看板を目印に山道を急いだ。
道路は途中までは上り坂ながらも緩やかなのだが、ある地点を過ぎると途端に坂の角度が急になる。
ここはまだ緩いくらい。更なる急勾配が待ち受ける。
ちょっとアクセルをふかしすぎて前車輪が浮いてしまったら、車が後ろ向きのでんぐり返しをしながら落ちていくんじゃないかと思うような急勾配とヘアピンカーブが続くのだが、驚くみんなを尻目に私はひとり余裕をかましていた。一度経験しているのでへっちゃらだ(確かに前回は驚いた)。事前のチェックが功を奏したのだ。
しかし前回車を停めた駐車場に一台も停まっていないのを見て、私は慌てた。
聞いたところでは、今回76組の入門者がいるというのに、なんでだ?
先を見やるとさらに奥を指す「駐車場→」と書いた看板があった。
…この先に車で行くのぉ?!
前回経験しているからこそ分かる。この先は車で行くにはあまりに細いのだ。
でもここに誰も停めていないというのは何か理由があるのかもしれない。
ここはちゃんと従おう。根が小心者の私は覚悟した。
「駐車場この先だってさー」
なにも知らない同行者たちは無邪気に教えてくれる。
いやいやいや……胸の内の動揺を隠してハンドルを切った。
分かりにくいですがこんな道。あの木の枝でボディこすりました
道を見た途端、みんなにも緊張が走る。息を呑んでじりじりと進む。
道にせり出す木の枝に怯えながらさらに進む。
畑の間を縫うようにして、やっと広場のようなところに出た。
周りにはやっとお仲間の車が。ほっとひと安心、である。
上の道にもたくさん。どういう風にしてあそこまで行けたんだ
そんなこんなで9時50分、開会式の時間前に現地に到着した。
蕎麦の花は相変わらず満開で、可憐に揺れている。
その横で「俺も見ろ」と言うかのようにいたのが、これである。
ここまで主張されるともはや恥ずかしくない
畑の一番目立つところに陣取っていた我が名の立て札。
愛しくもちょっと気まずい、ご対面であった。
つづく。
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